21. 鬼丸国綱
<太刀 銘:国綱(名物:鬼丸国綱)>
・鎌倉初期
・粟田口国綱 作
・山里御文庫御剣庫(宮内庁)所蔵
・享保名物帳
・皇室御物
<作者>
粟田口の始祖とされる6兄弟の末子・国綱によって打たれた太刀で天下五剣の1つ。
<名前の由来>
鎌倉幕府初代執権・北条時政が夜な夜な夢で小鬼に苦しめられており、ある日、夢に翁が現れ「汚れた人間の手で触れられた為に、私は錆び付き、鞘から抜くことができない。鬼を退治したくば、私の錆を落としてくれ」といわれ、その通りに拭い落とすと、立て掛けていた刀が倒れ、近くの火鉢の足を斬った。それは銀でできた鬼の形をしており、以来、夢で苦しめられることはなくなり、本刀は「鬼丸」と名付けられた。
<来歴>
以降、14代目執権・高時まで、北条家の重宝として伝来した。
1333年4月に元弘の乱の中で起きた久我畷の戦いにて、
高時の次男・時行と共に信濃に落ち延び、伊豆山へ脱出した異母兄・邦行へ渡るが、
そこで新田軍に捕らえられ、新田義貞に分捕られた。
1338年・藤島の戦いにて義貞は戦死し、北朝方の斯波高経が鬼切と共に分捕り、
本刀のみ足利尊氏に献上した。
15代将軍・義昭が織田信長に贈り、織田家に渡るが、豊臣秀吉に伝わった。
だが、秀吉はこの刀の不吉さからか、京の鬼門守護の為か、本阿弥光徳に預けた。
光徳から、徳川家康に献上されたが、家康は「太閤の考えがあって預けられたのであろうから」といい、本刀は本阿弥家に返還された。
1626年11月に後水尾天皇に嫁いだ2代将軍・秀忠の5女・和子が高仁親王を出産し、そのお祝いとして御所へと献上されたが、
1628年に高仁親王が亡くなり、不吉だと、再び本阿弥家に返還された。