33. 厚藤四郎

<短刀 銘:吉光(名物:厚藤四郎)>

鎌倉時代

・粟田口藤四郎吉光 作

・重文指定日 1955.06.22

・国宝指定日 1956.06.28

東京国立博物館 所蔵

享保名物帳

 

<作者> 

粟田口吉光が打った短刀の中でも寸法が短くきわめて小ぶりであるが、

元重ねが1㎝以上と厚いことが名の由来でもあり、「鎧通し」とも呼ばれた。

 

<来歴> 

元は、室町将軍家の御物として伝来していたが、

幕府滅亡後に堺の豪商が所持していたものを、本阿弥光徳のいとこにあたる祐徳が買い取り、濃州浄見城主・一柳伊豆守直末に譲り渡した。

 

1590.03.29の小田原討伐にて戦死した直末の遺品として、同じ小田原陣営であった

豊前中津前城主・黒田如水に渡った。

 

如水より関白・豊臣秀次に献上されたが、秀次の寵臣・岡三十郎が拝領し、高野山にてこれで切腹した。

 

その後、秀次の叔父・秀吉の手に渡り、秀吉の死後、毛利甲斐守秀元に拝領された。(諸説あり)

 

1664.02.28に徳川家綱の要望で秀元の嫡孫・綱元より献上された。

 

その後、一ツ橋家にあったものを1938年に東京国立博物館が購入した。