53. 大包平
・平安末期
・重文指定日 1936.09.18
・国宝指定日 1951.06.09
・東京国立博物館 所蔵
・享保名物帳
古備前派の刀工・包平によって打たれた太刀で、健全無比の大作で、包平作中の白眉とされるだけでなく、現存する刀剣の中での最高傑作といわれと高く評価されている。
名物帳には、刃長が90㎝と長いために名付けられたとされるが、この刀のポテンシャルの高さなどすべてを掛けての「大きい」ともいわれている。
包平は、助平と高平と並び古来「備前の三平」と称され、名高い。
池田家の所伝によると、池田三左衛門輝政の佩刀で、お正月の具足始めには、
甲冑と共に、飾られたとされている。
池田家以前の来歴は全くの不明で、愛刀家であった輝政の莵集だといわれているが、
備前岡山藩主を3歳で継いだ、輝政の孫・新太郎光政の代からの記録しかなく、
輝政の遺物が記される「池田分権帳」に本刀は載っておらず、
輝政所持で記載されていない刀剣は継室・督姫の嫁入りの際の引出物である面影であるため、輝政所持は、伝説的な来歴だったとされている。
西は池田家の大包平、東は松平家の童子切といわれ、東西の両横綱と讃えられた。
以降も池田家に門外不出の大切な家宝として伝来した。
大包平は、多くの伝説的逸話を残し、GHQの刀狩りの際には、池田家の刀剣を没収せよとの通達が出た時には、急ぎ岡山の池田家の刀をまとめ、広島の浅野家、熊本の細川家の刀と共に、電車の1両に押し込み、上野に脱出したため、最終的には多くの九州中国地方の刀剣をGHQから守ったといわれている。
他にも、人間国宝の高橋貞次が写しを打とうとしたが、どうやっても500匁にしか作れず、大包平の360匁には及ばず、結果、出来上がった写しは530匁であった。
明治頃から、人口で膾炙され始めた天下五剣に本刀が入っていないのは、天下五剣は名刀との名高さや由緒から選ばれたとされ、池田家にて門外不出と重宝され人目につく言ことがなかったために、明治以前の古文書には記載されていないためだと推測される。
1967年に池田家より、文部省に当時の6500万円(現在の2億6000万円)で買い取られた。