71. 亀甲貞宗
・鎌倉末-南北朝初期
・重文指定日 1936.05.06
・国宝指定日 1965.05.29
・東京国立博物館 所蔵
・享保名物帳
相州貞宗の代表作といわれ、刃紋は乱れ刃で茎に大磨上のあとに刻まれた亀甲菊花文様の彫刻があることが名の由来。
元は、明智光秀が所持していたとされ
その後、徳川家に伝来し雲州松江藩祖・松平出羽守直政が所持していた。
(出雲大社の神紋が「二重亀甲に剣花菱」であり、号の由来という説もある。)
1662年2月、直政の死後、奥州窪田藩の土方家に伝わり、
1684年に陸奥窪田3代目・伊賀守雄隆で土方家が断絶し、本刀も売りに出された。
その後、商人より本阿弥光秀が買い取ったとも、奥州南部側用人・赤沢某が直接150両で買ったともいわれ特定には至っていない。
(赤沢はかねてより、本阿弥家にて鑑定を学んでいたということから、本阿弥を通じて買ったのではないかと思われる。)
その後、南部家が赤沢より褒美と共に買い上げたが、1698年尾張徳川家に譲り
同年3月18日に尾張家より、将軍綱吉に献上された。
1704.12.05、家宣に譲り渡され、1704年12月朔日、吉宗の長子の襲名の際に
家重に譲りわたされ、1740.12.15、家治に譲り渡された。
以降も徳川家で重宝とされ、伝来した。
重要文化財指定された1936年以降に渡邊誠一郎氏に渡り、
渡邊氏の死後、1991年に東京国立博物館に寄贈された。