79. 江雪左文字

  <太刀 銘:筑州住左(名物:江雪左文字)>

南北朝時代

・筑州住左

・重文指定日 1933.01.23

・国宝指定日 1951.06.09

・ふくやま博物館(福山市所有)

・御家名物

 

筑前左文字派の刀工で、相州正宗十哲の1人、

左衛門三郎安吉が打った、唯一の現存太刀。

元は北条氏政の家臣・板部岡江雪(江雪斎)の愛刀だったことが名の由来。

 

1589年7月に主命によって上洛した江雪斎が豊臣秀吉に「真田家の沼田城を北条に下さるならば、明年に氏政を上洛させる」という約束を取り付けたが、

同年11月に沼田城を受け取った北条家臣・猪俣範直が、余計に真田領の名胡桃城まで奪取したため、怒った秀吉によって小田原討伐が決行された。

 

1590年、結果として無血開城終結した当討伐は有名だが、

実際の背景は、小田原城の周りに戦死した北条方の死体を晒される中での

籠城戦であり、悲惨なものであったといわれている。

 

開城後、秀吉に捕らえられた江雪斎は、無意味な申し開きをせず、動じなかった為に

秀吉に気に入られ、結果として、秀吉の御拙衆となり、姓を岡に改めた。

 

その際に、江雪より秀吉に献上され、その後、秀吉より徳川家康に贈られた。

(秀吉の死後に、家康に接近し関ヶ原の戦いでも追従した江雪が家康に献上した。もしくは、江雪の死後に献上された。という説もある。)

 

家康より、末子の紀州徳川家初代藩主・頼宣に下賜された。

以降、紀州徳川家に伝来した。

 

1929年3月には、日本名宝展覧会に紀州徳川16代当主・頼貞名義で出品された。

1934年2月に同家が行った入札で、24300圓で落札されたが、

3万圓で長尾よね氏が購入し、戦後まで長尾美術館に所蔵された。

その後、倒産した長尾美術館より、日本刀装具美術館にて所蔵された。

 

2001年に、親会社の倒産により運営中止となり、小松安弘興産が所有した。

2018.11.22に小松氏より、広島県福山市に寄贈され、ふくやま美術館に保管されている。