83. 小夜左文字

<短刀 銘:左 筑州住(名物:小夜左文字)>

南北朝時代

・左(筑州住左)

・重美認定日 1936.09.12

・重文指定日 1952.07.19

享保名物帳

・株式会社ブレストシーブ(大阪府)所蔵

 

相州十哲の1人、筑前左文字派の刀工、左衛門尉安吉が打った短刀。

細川幽斎がこの刀の境遇を西行法師の歌に掛けて名付けた。

「年たけて また越ゆべしと 思いきや 命なりけり 小夜の中山」

桃山時代に本刀を所持していた浪人が亡くなり、その妻が生活のために秘蔵していた

この刀を売りに出かけたが、何者かに殺され、本刀も奪われてしまった。

残された子供は、刀を持っているのならば研ぎに来るだろうと考え、研師となり

復讐の機を待っていた所、とある短刀を持った浪人が現れ話を聞いたところ

親の仇だと確信し、本刀で刺し殺し復讐を遂げた。

という話を聞いた、掛川城主・山内一豊がその研師を召し上げ、本刀も入手した。

 

その後、細川幽斎が懇願し一豊より譲渡され、幽斎の子・忠興(三斎)に伝わり、

小倉藩に伝わったが、幽斎の孫・忠利の代に小倉藩大飢饉が起こり、

資金繰りの為に売却された。

 

以降は、黒田家や浅野家など持ち主を転々とし

1665年6月、土井家で本阿弥家による1500貫の折り紙がつけられた。

1716年に京都の商人所有で享保名物帳に編纂された。

昭和に入り、大阪や神戸などを渡り、秋田の柴田政太郎所持で重要美術品に認定された。