95. 山姥切国広

<刀 銘:九州日向住国広作/天正十八年庚寅弐月吉日平顕長(号:山姥切)>

安土桃山時代

堀川国広 作

・重文指定日 1962.06.21

・個人(千葉県)所蔵

 

1590年2月に堀川国広が、足利城主・長尾顕長からの依頼で長船長義の一振りを写した刀であり、国広の最高傑作といわれている。

 

1586年に北条氏康より顕長が拝領した長船長義が本歌山姥切といわれているが、

「山姥切」の逸話については両刀にあり、どちらの呼称であるのか現在も不明である。

 

小田原北条氏に仕えていた長尾顕長は小田原城が落城し、領地と共に

北条家の遺臣・石原甚五左衛門に没収された。

 

石原が信州へ下る際に、産気づいた妻を道中の山中にあったあばら屋に住んでいた老婆に預け、薬を求めて山を下った。無事に薬を手に入れ、あばら屋に戻ると老婆が生まれたばかりの赤子をむしゃむしゃと食べており、驚きと共に怒った石原がこの刀で老婆を斬りつけると消えた。という怪談があり、山姥斬りという異名が付いた。

 

1600年・関ヶ原の戦いの際、石原は井伊家についており、同じ陣にいた渥美平八郎が刀を折られ困っていたため、この刀を贈ったといわれている。

 

明治維新後、困窮した渥美家は彦根市長曾根の商家に質入れしてしまった。

それを旧藩士であった三居某が買い取り、秘蔵していた。

 

1920年に杉原祥造が買い取ったともいわれるが、押形を取った時は井伊家にあったとされ、1923年の関東大震災で焼失したといわれたが、

1960年ごろに井伊家の旧臣が困窮し、井伊家に買い取らないかと打診し困った井伊家が本間薫山に相談し、本当が旧臣に拝領されていたと判明した。

 

それを、名古屋の高橋経美氏が買い取ったが、伊勢寅彦に譲られた。

 

1966年以降に、寅彦の手を離れ、現在は千葉の個人が所蔵している。