107. 髭切

 

髭切は、源氏の重宝で現存している鬼切丸の別名とされている。

<太刀 銘:安綱(号:鬼切)>

平安時代

伯耆国大原安綱 作

・重文指定日 1927.04.25

北野天満宮 所蔵

 

源氏に伝わる名刀の1つで、試し斬りの際に髭まで斬れたことが名の由来。

 

最上家以前の来歴は客観的史料が存在せず、特定に至っていない。

最上家が1869年に新政府に提出した調書によると、

源満仲より子・頼光、さらにその正嫡・頼国に伝来していたが、

河内源氏の義家が蝦夷征伐の際に本刀を借り、そのまま義家の子孫に伝来した。

一時、箱根権限に預けられていたがそれを源頼朝がもらい下げ、

以降、最上家に伝来した。

 

明治時代には最上家を出て、持ち主を転々としており、

1924年滋賀県権令・龍手田安定が寄付を募って購入し、北野天満宮に奉納した。

 

 

「髭切」という名は「源平盛衰記」の「剣巻」に出てくる説話である。

平安時代源満仲が天下守護の為に髭切と膝丸の2振りの剣を造らせたとあり、

・満仲の子・頼光の代では、家来の渡辺綱が本刀で一条戻橋の鬼・宇治の橋姫の腕を斬り落としたため「鬼切」と呼ばれた。

・頼光の3男・頼基の子・頼義、さらにその子・義家へ伝わり、その孫・為義の代には、本刀が獅子の吠えるような音を出すので「獅子ノ子」と呼ばれた。

・また、為義の代に揃いの膝丸(吠丸)を娘婿に譲ったために代刀として「獅子ノ子」そっくりに「小鳥」という剣を造らせたが、小鳥は獅子ノ子より2分ほど長かったが、ある時、2振りが共に倒れ、確認してみると、小鳥の茎が2分ほど切られていたため「友切」と名を改められ、子・義朝へ譲られた。

平治の乱の際に義朝の3男・頼朝に与えられたが、敗戦続きなのを八幡大菩薩に恨み嘆いたところ、「髭切」に名を戻せという暗示があり、名を改めたところ勝利を手にできたという。

 

 

作者も持ち主も他にも様々説があり、特定には至っていない。