120. 不動行光

<短刀 銘:行光(名物:不動)>

鎌倉時代

・相州藤三郎行光 作

・個人所蔵

 

相州正宗の父とされている、藤三郎行光によって打たれた短刀。

表に不動明王とその八大童子7番目眷属、矜羯羅童子と8番目眷属、制多迦童子が浮き彫りされているため名付けられた。

 

織田信長の愛刀で、酔った時に歌うほどに自慢していたという。

信長より、小姓の中でも特に才を愛した森蘭丸に与えられた。

 

1582年・本能寺の変にて、信長と共に蘭丸は殉したため本刀も共に焼身となった。

 

 

その後、豊前小倉藩小笠原家に伝来した。

1929年3月の日本名宝展覧会に小笠原長幹伯爵所持で出品された。

 

 

享保名物帳に記載されている不動には刀工名はなく、明治時代に照会したところ

この不動は行光ではなく貞宗だとされた。小笠原家の伝来によると、

1575年・長篠の役の功により貞慶が信長から拝領とあるが、貞慶が長篠に参戦したという史実はなく、となると焼身打ち直しの不動が何故小笠原家に伝来しているのかも不明であるがこれは不動行光と不動貞宗が混同されていたと思われる。