130. 鶴丸国永

<太刀 銘:国永(名物:鶴丸)>

平安時代

五条国永 作

・山里御文庫(宮内庁)所蔵

享保名物帳

 

三条宗近派の在国の子(または孫)として伝えられる

山城の刀工・五条国永が打った太刀として貴重な在銘刀である。

 

 

1703.08.03に本阿弥光忠によって金200枚の折り紙が付けられた以降が、本刀の確実な来歴であり、それ以前の来歴は確実な史料はなく特定には至っていない。

 

1285年11月の霜月騒動で本刀を所持していた陸奥太郎(安達)貞泰の一族が

北条氏の策略で滅亡し、その際に、北条貞時が本刀を拾ったといわれているが、

本刀が陵、陵丸と呼ばれたため貞時が安達一族の墓から盗ったといわれている。

 

その後の伝来は不明だが、同じ平家であった織田信長に伝来し、

信長より、御牧勘兵衛景則に下賜された。

 

信長の死後、景則は豊臣秀吉に仕え、子・信景は1600年・関ヶ原の戦いに敗れ

信景は浪人となり、̪四手井清庵と名を改めその際に本刀も手放したとされる。

 

勘兵衛家は山城の三牧村にあり、そこから程近い伏見藤森の某家に引き取られた。

 

出家した本阿弥家の次男・一乗院が某家より取り出し、伏見藤森神社の神事などに貸し出していた。

 

1703年に本阿弥家による折紙が付けられ、その後、刀屋・森田左衛門が

本阿弥六郎左衛門の添状付きで鶴丸国永という触れ込みで、奥州仙台伊達家に納めた。

 

その後、仙台伊達家に伝来した。

 

1901年11月の仙台行幸の際に、本阿弥成善に入念な研ぎをさせた本刀を

14代目宗基より、明治天皇に献上された。

 

以降、皇室御物となり宮内庁に所蔵されている。