166. 南海太郎朝尊

 

江戸時代後期、1830-43年頃に活躍した

土佐で刀鍛冶一族だった森岡南海太郎朝尊が打った刀の総称。

 

朝尊は、著書を3冊書くほど好学の士であり、森岡家系図も作っており、尊良親王に発するという。

 

 

1852年6月「刀剣五行論」

...漢文で五行説の観点から刀剣について纏められている。

 

1857年「新刀銘集録」

...序文には錚々たる面々が著を寄せており、全国の刀工系譜や押形について独学で纏められている。

 

「宝剣奇談」

...古くより伝来する宝剣の故事や奇端妙語を集め、古書によって編纂した本だが、

発売はされなかったようである。

 

 

刀剣乱舞でモチーフになった南海太郎朝尊は、幕末土佐藩土佐勤王党盟主であり、坂本龍馬の遠縁にあたる武市半平太が持っていた刀だが、来歴は不明。

164. 白山吉光

<銘:吉光>

鎌倉時代

・粟田口藤四郎吉光 作

・重文指定日 1909.09.21

・国宝指定日 1952.03.29

・白山比咩神社(所有)

・石川県立美術館(寄託)

 

粟田口吉光によって打たれた両刃の剣で

国吉、吉光の剣の中でも名作として知られている。

 

1632.12.13に3代目将軍・家光の養女となった水戸藩主・徳川頼房の4女の大姫が

1633.12.05に加賀3代目藩主・前田光高に輿入れした際の嫁入り道具として持参した。

(大姫は6歳で17歳の光高に嫁いだ。)

 

1656年に大姫がなくなり、加賀4代目藩主・綱紀が母の冥福を祈願して

1657.08.11に白山比咩神社へ奉納した。

162. 祢々切丸

<大太刀 無銘(号:祢々切丸)>

南北朝時代

・作者不明

・重文指定日 1967.06.15

日光二荒山神社 所蔵

 

作風より、備前系の影響が窺えるものの作者は不明。

詳細は不明だが、日光山中に棲む「祢々」という妖怪を退治したことが由来とされる。

「祢々」というのは日光付近の方言で河童のことと言われている。

 

現在も日光二荒山に所蔵され、毎年4月13-17日にかけての弥生祭で

当神社の「三口の神刀」の一振りとして、雄鹿の生皮の上に飾られる。

160. 豊前江

<刀 無銘:義弘(名物:豊前江)>

南北朝時代

郷義弘 作

・重美認定日 1937.05.27

・重文指定日 1949.02.18

・所在不明

・御家名物

 

越中国の刀工・郷義弘が打った太刀で、義弘の作中で最も華やかな出来の優品である。

長寸の太刀を磨り上げて、打刀になったとされる。

 

号の由来の詳細は不明だが、豊前小倉藩の小笠原家に伝来していた。

 

 

1937年の重要美術品は、小笠原忠春伯爵名義で認定された。

 

1949年には、山口県の山田新松氏が所持していた。

 

1956年の重要文化財は、中沢暁氏名義で指定され、

1961年の「正宗とその一門」でも中沢暁氏所持で出品された。

 

現在、文化庁の調査において、所在不明となっている。

158. 山姥切長義

<刀 銘:本作長義 天正十八年庚寅五月三日ニ九州日向住国広銘打 

天正十四年七月二十一日小田原参府之時従屋形様皮下置也長尾新五郎平朝臣顕長所持>

南北朝時代

・長船長義 作

・重美認定日 1939.09.06

・重文指定日 1949.02.18

徳川美術館 所蔵

 

正宗十哲の1人、1352-81年頃に備前国長船長義によって打たれた刀だが、

長義の作風は、長船光忠嫡流の兼光一派とは異なり、正宗の弟子でもあった為

相州伝備前」といわれる。

 

むかし、信濃国戸隠山中の山姥なる化物を退治したことから「山姥切」と名付けられたが、実際にそれを特定する史料はない。

 

 

後北条家に伝来し、1586年7月に長尾顕長に下賜された。

1590.06.04に堀川国広によって、本刀の銘入れが行われた。

(ここで太刀から大磨上されたという説もあるが、いずれにしても無銘であった)

 

1590.03.06に、本刀の写し「山姥切国広」が打たれた。

 

1681年6月に152両1分にて、徳川光友が買い求め、以降、尾張徳川家に伝来した。

 

現在は、尾張徳川家伝来の宝物を管理する徳川黎明会が所持している。

156. 千代金丸

<金装宝剣拵 刀身 無銘(号:千代金丸)>

・重文指定日 2002.06.26

・国宝指定日 2006.06.09

那覇市歴史博物館 所蔵

 

琉球王国の王族・尚家に伝来した宝剣の1つ。

尚家の由来記によると、14世紀に北山王・攀安知が所持した宝刀で、

1416年に安知は、中山王・尚巴志との戦いに敗れ、自害した。

(この時、攀安知は本刀で御嶽の霊石に十文字を斬りつけ自害しようとしたが、本刀は主の命を守る霊力が込められた刀ゆえ、自害できず、志慶真川に投げ捨て別の刀で自害したといわれている。)

 

後に、伊平島に流れ着いたところを現地民に拾われ、尚巴志に献上された。

 

1429年に尚巴志は南山を滅ぼし、三国を統一し、初代琉球国王となった。

その後も、尚家の宝物として伝来した。

 

1929年の日本名宝展覧会にて、尚裕侯爵所持として出品された。

 

 

2002年に、北谷菜切、治金丸などと共に「琉球王家尚家伝来品」の1つとして、

重要文化財に指定された。

 

2006年には、歴史文書類を加えた「琉球国王尚家関係資料」として、沖縄県初の国宝指定され、尚家より那覇市浦添市に寄贈された。

154. 南泉一文字

<刀 無銘:一文字(名物:南泉一文字)>

鎌倉時代

福岡一文字 作

・重美認定日 1941.09.24

・重文指定日 1954.03.20

徳川美術館 所蔵

 

備前の刀工一派、福岡一文字の刀工によって打たれた刀だが、大磨上無銘である。

元は足利将軍家の蔵刀で、研ぎに出した際に猫が真っ二つに斬れたという説より、

南泉斬猫」という故事にちなんで名付けられた。

 

時期は不明だが、豊臣秀吉が入手し「一之箱」に納められた。

 

1611.03.28に二条城にて秀頼(秀吉の三男)と徳川家康の会見の際に贈られたと

「豊臣家刀帳」に記されている。

 

その後、家康の遺品として、尾張徳川家初代・義直に贈られ、以降同家に伝来した。

(「享保名物帳」によると、義直から2代目将軍・秀忠に献上し、その後改めて下賜された。とあるが、尾張家にはその記録はない。)

 

明治維新後も尾張徳川家に伝来し、現在は徳川黎明会が所蔵している。