89. 歌仙兼定
室町後期に活躍した、歴代和泉守兼定の中で随一といわれる
2代目・通称「之定」が打った刀。
持ち主であった細川忠興が36人の家臣を手討ちにしたという逸話から、
「三十六歌仙」にちなんで名が付けられたといわれている。
1644.02.29に忠興より、側室の円通院幾知の子・立孝に羽織と共に伝わった。
1645.05.11に立孝が亡くなると、遺物として肥後熊本2代目藩主・光尚に贈られ、
その子・綱利の所持となる。
時期は不明だが、綱利より家老・相原定常(常道?)に拝領された。
以降、明治30年頃まで相原家に伝来し、その後、持ち主を転々とした。
昭和の初め頃に、細川家16代当主・護立によって買い戻された。
1929年3月の日本名宝展覧会に細川護立侯爵名義で出品された。
(山田浅右衛門による折紙が付いていた。)
現在、永青文庫に所蔵される。