168. 肥前忠広

 

1650年頃の江戸前期に、肥前佐賀藩士だった肥前忠広が打った刀の総称。

 

刀剣乱舞肥前忠広は、

元は坂本家に伝わる家宝の1つであり、とても高価であったとされる。

 

1862年3月に坂本龍馬が土佐脱藩の際に、家から持ち出し、外装を売ったといわれる。

 

後に、武市半平太などを経て、岡田以蔵に渡ったといわれている。

 

1862年8月、岡田以蔵が京都にて、尊王志士・本間精一郎を暗殺した際に本刀は折れた。

 

 

その後、土佐勤王党の1人、平井収二郎によって断片を短刀に直したという説と、

1863年6月の収二郎の切腹後、井原応輔の手に渡ったが、1865年2月に応輔は殺され、本刀も行方不明になった。)

 

本刀は、武市から借りた刀で南海太郎朝尊に依頼し、脇差に直させた説がある。

(1865.02.25に「以蔵の折れた刀を朝尊に依頼し、脇差に直させた」という内容の書簡がある。)