73. 燭台切光忠
・鎌倉時代
・徳川ミュージアム 所蔵
・焼身、再刃
備前長船派の事実上の祖として知られている光忠によって打たれた太刀。
伊達政宗が豊臣秀吉から下賜された翌日にふざけた秀吉に揶揄われた光忠が怒り、
燭台の後ろに隠れた家臣に斬りかかると、その燭台ごと斬れたという逸話が名の由来。
(燭台を斬ったという事実はあるが、その秀吉に下賜された云々の状況は特定には至っていない。)
1596年に秀吉から政宗に長船光忠が一振り下賜された記録はあるが、
それが燭台切であるかは不明。
政宗に愛用されていた本刀はその後、水戸徳川家に伝来したがその経緯は不明だが
江戸時代の文献に「長2尺2寸光忠 正宗殿より来る」とあり、
詳しい時期も受取人も光圀か頼房なのか特定はされていないが、
持ち逃げされたなどの逸話は明治以降の創作であるとされる。
江戸時代は、小石川の屋敷にあったと思われ、
明治以降は徳川侯爵家本所に他の刀と共に移されたが、
1923.09.01・関東大震災で焼失した。
2015年に刀剣乱舞の影響か、問い合わせが多くなった徳川ミュージアムが
再度、蔵を確認したところ焼身のまま保管されていたことが判明し
2016年2月より、写しの鍛刀が宮入法廣氏によって始まり、2017年12月に完成した。
2018年1月から徳川ミュージアムにて、本歌燭台切の隣で並んで展示されており、
2019.04.20に焼刀としては異例の刀剣登録され、日本刀として扱われている。