81. 宗三左文字

<刀 義元左文字 金象嵌銘:永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀 織田尾張守信長(名物:宗三左文字)>

南北朝時代

左文字(筑州住左)

・重文指定日 1923.3.28

建勲神社京都府)所蔵

享保名物帳(焼失の部)

・再刃

 

正宗十哲の1人、筑前国左衛門尉安吉が打った太刀。

半隠軒宗三(三好政長)が所持していたことが名の由来で、

他にも、「義元」「三好」「信長」の名がある。

 

1527年2月に三好宗三より、武田信虎に贈られた。

1537年2月に信玄の姉・定恵院が今川義元に嫁ぐ際、今川家に引出物として贈られた。

 

1560年5月・桶狭間の戦いで義元が佩刀しており、織田信長に討ち取られた。

1560.06.12に信長によって、磨り上げられ打刀となり、金象嵌も刻まれ、愛蔵された。

 

1582.6.21・本能寺の変の後、豊臣秀吉が焼け跡より発見し「一之箱」に入れて所蔵した。

(信長が明智光秀に襲われた際に隣に侍っていた松尾神社祠官の娘が持って逃げており、1592年になって秀吉に差し出したという説や、既にここで焼身したという説もある。

 

その後、秀吉の子・秀頼に伝わり、1601年3月に徳川家康に贈られた。

以降、ソハヤノツルキと本庄正宗と共に、家康お気に入りの3振りとして

徳川将軍家で愛蔵された。

 

1657年の明暦の大火で焼身となったが、3代目越前康継によって再刃された。

 

1869年に明治天皇織田信長に「建勲(たけいさお)」の神号を与え、

東京・天童に信長を祭神とする建勲神社が創建され、

1880年に京都・船岡山に神社が遷座しその際、徳川宗家より奉納された。