124. 小烏丸

<太刀 無銘:伝天国(号:小烏丸)>

・奈良ー平安時代

・天国 作

・山里御文庫 所蔵

・皇室御物

 

日本刀剣の祖とされる天国が打った太刀といわれるが、

その出身、経歴など謎が多く実在の人物であるかも特定されていない。

 

平家重宝の太刀で、小烏とも呼ばれ由来については、3説存在する。

桓武天皇のもとに烏が飛んできて「伊勢大神宮から剣の使いとしてまいりました」と言い、翼から一振りの太刀を落とし、天皇はそれを小烏と名付けたと『古剣書』には記され、『軍記物』では8尺もの霊烏から落とされたとも記される。

 

→939年に平将門討伐に向かう平貞盛が朝廷より拝領し、兵法で8人の分身を作った将門に対峙した際に、兜に小さい烏が付いた分身を斬りつけたところ、将門も斬られたため名付けられたといわれる。

 

→幕末の国学者が唱えた説で、韓国から渡った剣は「韓鋤(からさび)」と呼ばれ、

それが「小韓鋤(こからし)」、しが訛り「こからす」になったともいわれる。

 

 

以降、1185年・壇ノ浦の戦いにて平家が滅亡するまで重宝として伝来した。

 

その後、行方不明とされていたが、1787年に平家の子孫である伊勢家に保管されていたことが判明し、徳川将軍家に献上されたが、伊勢家に戻された。

 

1867年の明治維新後に対馬藩主の宗家に買い取られ、

1882年に宗重正伯爵より明治天皇に献上され、皇室御物となった。

 

 

本刀のように皇室からでて、また皇室に戻った刀剣は珍しい。

刀身は両刃と片刃が共存し、刃長の半分または3分の2から先が両刃になっている刀は

小烏丸造りとも呼ばれる。

 

日本刀と直刀の中間にあたる刀で、日本刀完成の過程にある刀であるといわれている。