25. 一期一振

<太刀 額銘:吉光(名物:一期一振)>

鎌倉時代

粟田口吉光 作

・皇室御物

享保名物帳(焼失の部)

 

ログイン台詞の「露とおち 露と消えにし わが身かな 浪速のことも 夢のまた夢」は秀吉の有名な辞世の句である。

 

<名前の由来> 

吉光によって打たれた太刀の中で最高峰だったため、室町時代にこの号がついた。

 

<来歴>

朝倉家崩落後、毛利家を辿り、1590年に輝元より豊臣秀吉に伝来した。

:秀吉は本刀を「一之箱」に納めて秘蔵していたという。

1615年の大阪夏の陣大阪城落城と共に、焼身

 

その後、徳川家康の命令で初代越前康継によって焼き直された。

:その際に2尺8寸3分(85.8cm)から2尺2寸3分(69.1cm)に磨り上げ、銘を額銘に変更したと「享保名物帳」に記されているが、秀吉が自分の身長に合わせて磨り上げたという説もある。

 

1863年尾張15代藩主・徳川茂徳により、孝明天皇に献上され御物となった。

現在は宮中祭祀新嘗祭で使用されている。