59. 蛍丸

<太刀 銘:来国俊 永仁五年三月一日(名物:蛍丸)>

・鎌倉末期

・来国俊 作

・重文指定日 1931.12.14

・行方不明

・復元 2017.06.17

 

来国行の子・国俊によって打たれた大太刀。

南北朝時代、南側の武将・阿蘇惟澄が佩刀していたといわれている。

1336.04.13・多々良浜の戦いで本刀を振るい菊池武敏と共に戦うも足利軍に敗れた。

その夜刃こぼれした刀の破片が蛍のように輝きながら飛んで戻ってくる夢を見た翌朝

刀を確認すると、刃こぼれが全く無くなり直っていたという逸話よりこの名が付いた。

 

以前の来歴は不明だが、阿蘇宮司惟澄の後裔に伝来した。

惟澄以降の一族は南北に分かれ争うようになり、武力と領土のシンボルである本刀を巡る争いもあったようであり、本刀も実際に戦いで振るわれたといわれている。

その後、大宮司として再興した阿蘇家の宝刀として伝えられた。

太平洋戦争後、GHQの刀狩りのどさくさに紛れ、行方不明となった。

2017年に岐阜の「房幸」と大分の「房興」の刀匠によって3振りの蛍丸が復元され、

真打は阿蘇神社に奉納された。