63. 千子村正

 

初代村正の千子村正によって打たれた刀の通称。

生年は室町中期の1500年以前で、伊勢桑名で活躍した刀工であり、

「村正派」の祖であるが、特定の号ではない。

2代目関兼定(之定)は村正と交流があり、秘伝を受けたともいわれている。

 

村正の刀は武器としての日本刀の代名詞であり、斬味凄絶無比と名高く

三河武士を中心に将軍家康や、関白秀次ら天下人を含む戦国武将の至上の業物として

多く愛用された。

 

江戸時代以降は「徳川家に仇なす妖刀」としての伝説が広まったが、確認された事実はない。

村正一派の活動範囲は広く、精強武士であった三河武士が多く愛用し「数打物」と呼ばれ、量産品の実践刀を多く世に送り出していたため、徳川軍の凶事に関わる確率が多かったのも理由とされる。

 

西郷隆盛三条実美有栖川宮熾仁親王が実際に所持していた。